フィクションにおいてのコンプライアンスってなんだろう…
既に半年ほど前のニュースになりますが、ふとした時に考える頻度が多いことを記録しておきます。
映画鑑賞を趣味としていて、毎年2月はWOWOW加入してアカデミー賞授賞式を観るのが楽しみです。英語の勉強…も兼ねて(口実w)
ここ数年「白すぎるアカデミー」なんて揶揄されたり、キャスティングの人種問題やノミネート作品、ノミネート俳優の人種問題が毎年のように取りざたされているアカデミー賞およびハリウッド映画界隈。
「人を殺してはいけない」という法律が万国共通であるように、差別や暴力、犯罪はいけません。それはみんなわかってることだと思うんですよね。その上で、その時代の物語を作るのに「差別的表現」を「正しくないから」といって排除したりするのって、その時代を生きていない人間にとっては「???」ってなるし、何も学べないと思うんですよ。
乱暴な言い方ですけど、フィクションの世界にまで正しさを求めてしまうと、ドラマ生まれなくなると感じています。
よくないことはよくないこと、として、表現は表現として別の次元で考えるべきです。
しかし、キャスティング問題とかは難しいですよね。落選した理由って一つではないんでしょうし…。これもまた、表現の問題とは分けて考えるべきことですね。