体が硬いミドサーのブログ

体が硬いミドサーのブログ。体は硬くても素直な心は忘れないようにしたい…。

本と映画はナマモノ

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趣味はなんですか?と聞かれたら「映画鑑賞、読書、書店・図書館に行くこと、写真撮影、カメラ屋・電器店巡り」と答えています。

 

私の住む街には数は少ないですが、セレクト書店もあれば、大型書店もあります。昔ながらの街の本屋さんは姿を消して久しいですが、その代わり同じ都道府県に本社のある複合書店が街に数箇所あって、週末は家族連れで賑わっています。

 

その昔、私が10代の頃に読者になっていたブログの作者の方が「本はナマモノだと思っている」というようなことを記事でおっしゃっていました。その頃から私もそれを信条に生きています。

 

よく「家電芸人」で徳井さんが「買いたい時が買い替え時」などと言っているのを目にしたことがありますが、本も映画もそれと一緒で「読みたい・観たいと思った時がその時」だと思うことが多くなりました。

 

興味を引く作品がとても多く、いつでも読めるから、観れるから…と思っていると、記憶の果てに埋もれてしまいます。たとえ「読みたい(観たい映画)本リスト」を作ったとしても、リストを覗いた時に読みたい(観たい)と思うとは限りません。

 

しかし、それ(読みたい時に読む、観たい時に観る)をするには時間とお金が必要です。「速読」を身につければ…なんて思いましたが、そもそも速読なんてものは胡散臭いうえに、個人的能力に依拠するものだと思っているので、「文庫が3分で読める!」なんて情緒のないことをするつもりはありません。ビジネス書なら「アリ」かもしれませんが、そもそも世に数多でてるビジネス書は水で薄めたようなものが大半なので、目次を見て興味をそそる項目を流し読みするだけで十分だと思っています。(個人の意見ですので、反論は受け付けません)

 

積読もまた悪いこととは思っておらず「あぁ、そういえば買ったのに読んでないな…」と思って手を取るのもまた、趣があっていいものだなと思うのです。

 

しかし、それをするには場所が必要です。場所には限界がありますし、時とお金もまた同じくです。

 

時間と場所は自分でなんとかするしかないですが、お金…。本、映画代高くなりましたよね。私が小さい頃は文庫が500円しなくて、ハードカバーも1,000円で高い!と言われていた時代がありました。いつの頃からか1,600円がデフォ。文庫も500円では買えません。

 

「自己研鑽控除」なーんて控除があったらいっぱい本買うんだけどなぁ(笑)

所得額に応じて控除額の上限が決まるようにしてくれたらいいのに…。そうしたら、ただの減税より知恵がついたり、心の安らぎを得られたり何倍も価値のある減税になるんじゃないかなぁ…なんて空想してしまいます。

家族の形を考える

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2019年にテレビ東京系列で放送されていた「きのう何食べた?」のお正月スペシャルをTVerで観ました。

ドラマ全編を通して、「同性愛者のリアル」と日本に生きる人間の日常生活を地続きで描いていて、ホロっと泣かされたり、登場人物のふとした一言に救われたりして、断続的にですが配信で全てを鑑賞していました。

連ドラ時も度々、シロさんとご両親の関係についてシロさんが悩みながらも親子で歩み寄りをみせているシーンやエピソードがありましたが、今回は「神頼みで息子を異性愛者にしようとしていた若い頃のシロさんの母」の話が出てきました。

シロさんが同性愛者だと知った後、お母さんはツボだの水だのと買い求め、シロさんを異性愛者にしようと縋っていたようで、その頃に使い込んだお金はどうやら老後資金で、年老いた今、夫(シロさんの父親)の医療費などが嵩んで息子に金の無心をしなければならなくなった…というのが顛末です。

その後どのようにして親子が現在の関係を築いていくのかは詳細は明かされていませんが、多かれ少なかれ親が年老いていくと子の世代が直面する問題だと思うのです。「親の経済問題」というのは。

 

うちの母親も祖母から金の無心をされていましたが、祖母は「子に金の無心をする」ことについて特に何も考えてない様子でした。立ってるものは親でも使え…ではないですが、使えるものは子でも使おうという精神が祖母の心にはあったのでしょう。それを自覚してるかは別問題ですが。

 

我が家は私の両親も夫の親も隠居してはいますが、まだ経済的に困窮しているわけではないので、少し心に余裕はありますが、子がいたらまた話は違ってきたなぁ…とドラマのシーンを見ていて思いました。それでも、シロさんのご両親はシロさんを大学まで卒業させ、司法試験合格まで支えたのですから、「自分の気持ちと子の将来への支援は別」と考えて子育てされていたのだなと感じられ、すごいなぁと思うのです。

 

他には、常日頃からワガママなジルベールとそれに振り回される小日向さんのやりとりですが、今回は少し趣が異なりました。

いつものごとくワガママっぷりを存分に発揮しているジルベール。偶然食材買い出し中のケンジに出くわし、二人でパンケーキを食べながら色々と話すシーンがとても印象的でした。ポテチの味に例えられる、パートナーからの愛情の話なのですが、「結局歳とってくると、いつでもそこにある定番の味がよくなるの。だから、愛情を試すのもたまににしてあげないと(パートナーが)可哀想よ」とケンジはジルベールのわがままを嗜めるやりとりをするんです。

連ドラの時から、気質は割とケンジとジルベール同じだなーと思う描写があったのですが、不安からくる愛情試しは劇薬であることをケンジは身をもっていっているし、かつ、「愛情を試したりしなくたって、ちゃんと愛をくれる相手」と出会って生活している今があるからこそ出てくるセリフですよね。

 

その後、ジルベールは自分でつくったキムチチゲを小日向さんに振る舞うのですが、それも、愛情を試すのではなく、自分から相手を思って(いや、多分大部分はジルベールが自分で食べたかっただけなんだろうけど…それでも、「大ちゃんに食べさせてあげたい」という気持ちが少しでもあったんだと解釈している)とった行動に小日向さんはひどく感激しているし、やっぱりこの人じゃないとダメだなと思ってるんだろうなーとホロっとしました。

そして、小日向さんはシロさんとの電話でこういうのです。

「僕はワタルくんが投げつけるワガママは僕だけに向かっていて欲しい、そして、そのワガママは僕だけで答えてあげたいんです」と。

 

イロモノ扱いしてたけど、ごめんね…と思いました。

(原作未読なので、詳しい事情も知らないし…)

引っ掻き回されるのは迷惑ですが、フィクションとして観る限りではとても応援したくなりますよね。実際に知り合いにいると「うーん」ってなるけどw

 

観終わって、用事で出かけた先のコンビニでわさビーフを買ってしまいましたw

 

こういう、フィクションだけど自分や社会について色々と考えさせられて、でも少し救いになるような作品、とても好みです。

 

 

 

どっち見て仕事してるのか?

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画像はイメージです。

ここ数ヶ月、直属の上司とその上の上司に段々と失望することが多くなりました。

4月から新体制で仕事していて、どんな人達なのかはかりかねていたのですが直属の上司は部下の面倒を見ることがなく、フォローが少ない人で、その上の上司は話好きで我々部下のデスクによく来る割に、こちらの話を聞かない人でした。

 

別に、上司に褒められるため、認められるために働いているわけではないですけど、キチンと下の世代を育てよう、見守ろう…という気持ちのない人と働くととても気持ちが萎えてしまうんだなぁということがわかりました。

 

そして、中堅と呼ばれる年齢の私も下の後輩達にそういうことしちゃってないかな…と合わせて考えるようになりました。

 

働くって、自営だろうが勤め人だろうが、ひとりではなし得ないことだと思っています。自分が今、どういう役割を求められているのかを考えるというのは将来昇進するつもりがない人間でも考えて動かないとならないよなーと日々感じます。

 

今思うと、3年前、私が現在の部署に配属された頃にいてくださった上司2名は人としても、上司としても素晴らしい方だったなと二人から離れた今痛感しています。失敗できる環境にしてくださっていた上司には沢山の感謝の気持ちがあります。

 

今の上司ももう少し長く一緒に働けばいいところは見えてくると思いますが、ここ数年「上司への不満の方が多い」上司の下で働くことが多いので、どうなることになるかまだわかりません。

 

どんな環境にいても、他人の振り見てなんとやらですね。

放送大学、単位習得しました

選科履修生で入学し、1科目だけですが履修しておりました。

 

最初は真面目に放送授業を聞きながらテキストを読んだりしておりましたが、そのうち段々と聞かなくなり、テキストも数行読んでは寝る…ということを繰り返しておりました。

 

定期試験の回答送付期日が迫っていたので、数日かけてテキストをなんとか読破。

締め切りギリギリで回答送付したのが7月中旬でした。

 

その約一月後、成績が送付されてきました。

A○…どうやら一番上の成績らしいです。おぉ。1科目だけとはいえやはり嬉しいです。

 

通信制大学で学ぼうと思い立って、お試し的に履修をしてみて感じたことは、今回履修した科目は基礎科目なので、受動的(テキストを読んで問題に答える)ことが多く、私の目的とはいささか違ったかなぁという印象を受けました。

でも、それが「お試し的に」履修をしたとはいえ、自分の目的がはっきりしたので無駄とは思っておりません。

 

今後はよりアウトプットもできるような講座で自己研鑽に励みたいと思います。

 

 

自分の事に真剣にならずして、いつ、誰が真剣になるんだろう?

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photo by me

 

ミドサーだけど、小さな時から既往症が複数あります。

10代の後半になって、糖尿病も発症しました。

 

メインで診てもらっている診療科は内分泌の専門じゃないから、「内分泌の先生に

診てもらってね」ってことで、18歳かそこらから並行して受診してます。

 

しかし、主診療科で診るには重症だけど、内分泌で診るには軽症だからなのか、医者はイマイチはっきりと治療方針を示してくれません。

 

社会人ですもの、付き合いもありますし、美味しいものも食べたいじゃないですか。

だから、そういう時や食べた後の血糖コントロールについて先生に尋ねても

 

「付き合いは一切するな。病気のことだけ考えて、とにかく運動!多少具合が悪くても運動すれば治る」(意訳)

 

との発言で一蹴されて、血糖コントロールのために自分の血糖トレンドを把握したい、血糖測定器を使いたい。保険効かないのはわかってるから、自費でやる。ただ、既往症のこともあるから先生に相談した…と伝えても「必要ない」の一点張り。(ここが意味不明。自費でやるって言ってんのに)

 

主診療科の先生は「内分泌の先生が必要ないって言ってるんだから、要らないんじゃない?」って感じであまり真剣にはとらえず。

 

そして、今日、血糖コントロールおよびシックデイについての見解で食い違いが生じました。あまり詳しく書くのは身バレもあるので、控えますが、シックデイで2週間、昼の投薬をやめているという話をしたところ、話を最後まで聞かず「なんで勝手にやめたの?」と言われました。

 

医師からすると、かかりつけの薬剤師という単語に不快感があったんでしょうが、薬剤師に相談したうえで、昼の投薬をやめると決めたのは自己判断で、その点については「すみません、先生に相談したところで、過去にも似たようなことあって、はっきりした答えをもらえなかったので、あてにならないとおもいました」(オブラートに包んだよ)と伝えると無言に。

 

10分ほどのバトルの末、投薬内容を変更して様子を見るということになりましたが、治療方針を決定するのは私自身であり、先生ではありません。そのことを先生は履き違えてるのかなー?と感じる言動がちらほらあり、血糖コントロールについても、運動指導や食事指導を受けたいと言っても「必要ない」と言われる始末なので、飽きやすく続かない私が、どうしたらこの病気と付き合っていけるのかを考えられる病院に転院することを決意しました。

 

病院に文句言いたくなるくらいには適当な先生だったな…。よく十数年続いたよ、私。がんばったなあ。

フィクションにおいてのコンプライアンスってなんだろう…

www.harpersbazaar.com

 

既に半年ほど前のニュースになりますが、ふとした時に考える頻度が多いことを記録しておきます。

 

映画鑑賞を趣味としていて、毎年2月はWOWOW加入してアカデミー賞授賞式を観るのが楽しみです。英語の勉強…も兼ねて(口実w)

 

ここ数年「白すぎるアカデミー」なんて揶揄されたり、キャスティングの人種問題やノミネート作品、ノミネート俳優の人種問題が毎年のように取りざたされているアカデミー賞およびハリウッド映画界隈。

 

「人を殺してはいけない」という法律が万国共通であるように、差別や暴力、犯罪はいけません。それはみんなわかってることだと思うんですよね。その上で、その時代の物語を作るのに「差別的表現」を「正しくないから」といって排除したりするのって、その時代を生きていない人間にとっては「???」ってなるし、何も学べないと思うんですよ。

 

乱暴な言い方ですけど、フィクションの世界にまで正しさを求めてしまうと、ドラマ生まれなくなると感じています。

 

よくないことはよくないこと、として、表現は表現として別の次元で考えるべきです。

 

しかし、キャスティング問題とかは難しいですよね。落選した理由って一つではないんでしょうし…。これもまた、表現の問題とは分けて考えるべきことですね。

続かないと思うけど、一応挨拶

長座がつらいくらい体が硬いミドサー女、ににみです。

勤め人になってはやくも10年選手となりました。

毎年入ってくる初々しい子達にどんどん追い抜かれて、ちょっとおばちゃん自分の行く末が心配!

 

別に今の仕事で大成しようとか、偉くなろうとか思ってはいないのですが、

常々「自分で考える」ことをしていない日々にちょっとしたモヤモヤを抱えておりました。

 

ずっと「時間ができたら通信の大学で学びなおしたいなぁ」と考えていたのですが、

放送大学のサイトを見るだけで満足しておりました。

 

コロナ禍で時間もできたので、思い切って1科目だけですがお試しで

放送大学の科目履修生になることに。

 

自分の言葉をある程度まとまった分量で綴ることから長く離れていたので、とりとめはないですが、リハビリを兼ねてブログを作ってみました。

 

割と飽きやすい性格なので長く続くとは思っておりませんが、とりあえず、ご挨拶。

私のことは個人特定されない範囲内でおいおい書いていこうかと思います。